【手作り酵素通信】僕らはみんな生きている
2016/05/03
こんにちは。藤五郎太です。お元気ですか。
酵素教室は会場に来ないリモート参加が便利です。翌日配達可能の地域であれば参加できます。作り方の説明書と材料をクール宅急便でお届けします。ぜひご利用ください。
さてと、
2006年の春ごろ、僕は調子を崩していました。会社(日立製作所)に着くと眠たくて眠たくてしょうがないのです。歩きながらでもふっと意識がなくなるぐらい眠たいんです。
遡って1993年、映画「ぼくらはみんな生きている」を観て、日立を定年退職した男の悲しい現実を突き付けらたものの僕はまだ定年退職の実感を持てませんでした。定年は遠い将来だったんですね。だけどちょっとだけ胸の奥に引っ掛かるものがありました。
最初はエンジニア部門に配属されましたが、会社のいろいろな動きに乗って営業に転属しました。技術部隊の硬さから解放された僕は毎晩お客さんと飲みまくってました。なんどお客さんと朝を迎えたことか。一昨年昔のお客さんがたまたま麻布十番に来たよといって焼き鳥をおごってくれました。有難いことです。そんなこんなで営業の成績は結構よかったんですが、またまた会社の動きに乗る形で今度はBSデータ放送局デジタルキャストインターナショナルへ出向となりました。その会社は今は無いですよ(笑)
そこで交流は良い勉強になりました。番組の企画に協力してくれた神主さんとは今でも仲良くして頂いています。
出向して半年後のとこです。まだその会社が営業を始める前に、日立から帰ってこいと言われました。僕は会社が立ち上がるまで帰るわけには行かないと断ってしまいました。
この断ったのがその後の人生に大きく関わったんですね。その時帰れば営業課長の椅子が用意されていたんです。